激動の近代と歩む『グラフィック・デザインの歴史 』

一言でデザインといっても、工業デザイン、グラフィックデザイン、ファッションデザイン、ゲームデザイン、webデザイン・・・と多岐にわたるので、なかなか一言で言い表すことはできません。
個人的には「言葉だけでは伝えられない部分(想い)を人に伝える」ことがデザインだと思っています。
そんな定義があいまいなデザインを、この本では商業デザインが生まれた18世紀ごろから、現代までデザインの潮流を丁寧に紹介しています。

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舞台はイギリスでおきた産業革命からはじまります。
蒸気機関、紡績産業、鉄鋼業などの技術革新が、「大量生産」「大量消費」を促し、市場にたくさんの製品が流通しはじめました。
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しかし、大量生産が生んだデザインの粗悪さに異を唱える人物が現れます。
ウィリアム・モリス(1834-1896)です。
彼は現在の状況を批判し、中世の手仕事が持っていた高度な創造性を取り戻す運動「アーツアンドクラフト運動」を起こしました。

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この運動は海を渡り、フランスでもアールヌーボーと呼ばれる新たな美を追求する運動がおこります。
産業革命で起きた新技術だけでなく、1867年の万国博覧会で紹介された日本美術(ジャポニズム)も大きな影響を与えています。
ドイツでも新たな動きが起こります。
他のヨーロッパ諸国から出遅れていましたが、ドイツ工作連盟という団体を立ち上げ、工業に役立つ芸術を考えました。
そこで大量生産をポジティブにとらえ、デザインの質を保ちつつ大量生産をおこなうために、デザインの規格化、フォーマット化を重視しました。

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この頃、ロシアではロシア革命が起こり、赤軍(国軍)と白軍(反対勢力)がぶつかり合い、内戦状態に。
フォトモンタージュやタイポグラフィーなどの前衛的手法が駆使された斬新なポスターが作られました。
レーニンの寛容な文化政策によって政治にグラフィックデザインを取り入れた事が背景になっている為、プロバガンダ的な作品が非常に多いのも特徴です。

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第一次世界大戦で敗戦したドイツでは多額の賠償金をかかえる中、戦前に出現していた様々な思想が国内に普及していきました。
そんな中で建築家のヴァルター・グロピウスが建築の学校「バウハウス」を設立しました。
『芸術やデザインに、「美しい」だけでなく、「人の役に立つこと」を求める』
という教育ポリシーを持ち、現在でも建築だけでなく、グラフィックデザインにも多大な影響を与えました。

その後のナチズムの台頭で、ヨーロッパの多くのデザイナーはスイスやアメリカに亡命しました。
この2国のデザインのレベルはその後、飛躍的に伸びることになります。
そして1939年、ドイツ軍がポーランドに侵攻したことをきっかけで第二次大戦が勃発します。

第二次世界大戦に勝利したアメリカは、亡命した才能のあるデザイナーの活躍の場になり、広告代理店も誕生し、特にニューヨークは広告産業の中心地になりました。

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日本では戦時中に軍が「FRONT」という宣伝雑誌が発行していました。
カメラマンは木村伊兵衛、アートディレクターは原弘という現在の日本の広告デザインの礎を築いた人々でした。

敗戦を味わった後、1951年に日本宣伝美術会、1960年に日本デザインセンターが設立し、日本のデザインは技術力や経済発展をとげるのに歩調を合わせる形で発展していきました。

 

かなり駆け足で説明してしまいました。
デザインは人類の技術革新や経済発展に大きく寄与してきましたが、一方で戦争のプロパガンダに使われることもたびたびあり、グラフィックデザインの歴史は近代史そのものと言ってもいいでしょう。

まさに「教科書」というべき内容なので全体としては単調ですが、デザインと歴史が密接に関わっていることを教えてくれる一冊になっています。