お艶殺し

後の名作を思わせる『お艶殺し』

女は名家の一人娘、お艶。
男は奉公人、新助。
二人はある夜駆け落ちし、江戸を転々し、
新助だけでなく、関わる男たちがお艶の魅力にハマる。

この時点で『春琴抄』『痴人の愛』を思わせる谷崎文学の鉄板設定で、
久しぶりに楽しめた。

江戸っ子らしいべらんめぇ口調が雰囲気を醸し出し、
位の差を乗り越えようとする二人の純愛を描くと思いきや、
どんどんやばい展開に進む。

優男の新助。男勝りのお艶。
昼ドラもビックリの展開が続くけど、
二人の落ちていく運命は、あれ悲しいという思いで終わらせるのではなく、
美しい物語で終わっている。

古今和歌集

四季に合わせて読みたい『古今和歌集』

やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。

と仮名序にあるように、
当時の歌は、現在の歌と同様、人の心を映すものでした。
1100首という膨大な歌の中に、

春は桜を歌い、
夏はほととぎすを歌い、
秋は紅葉を歌い、
冬は雪を歌う。

恋愛の歌もたくさんあり、

あの人を想うと、夜も眠れぬ。
あの人と別れ、袖を濡らす。
あいつとあらぬ噂がたってしまう。

と、大部分が季節や恋をテーマにした歌で、
ああ昔も今も人の想うことはたいして変わらないものだなと思いました。

平安時代に編集されたもので、逢坂、竜田川、吉野と場所を読む歌もあり、
先日読んだ谷崎潤一郎『吉野葛』を思い出しました。

枕詞や接頭語など文法や歌の解釈の説明も充実しており、
一回読んだだけではもったいない感じがしました。
ふとした時に気になったページを読み返すと良さそうです。

春には春歌を。
夏には夏歌を。
秋には秋歌を。
冬には冬歌を。

と言った具合に。

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戦乱を生きた盲人が語る『盲目物語』

かつては近江の国は名将、浅井長政が治め、
織田信長の妹、お市の方が政略結婚として嫁いだ国でもあります。

そこに使える盲人が語り部として、
当時の戦国時代を語る物語です。

滋賀県の長浜周辺が舞台の中心で、
現在は少し寂しさを感じる地方都市ですが、
一時期は時代を左右する戦が幾度となくあり、
織田信長が天下を狙う足がかりの地でもあります。

このかつては歴史を変える舞台で、
今は静かな場所になった感じは『吉野葛』と共通するところで、
この二編が一冊の本にしてあるのも合点がいくわけです。

特に戦乱に翻弄されるお市の方が不憫。
はかなくとも強く生きようとする姿が盲人により語られていました。
他にも名のある武将が次々と話しに出てきますが、
とにかくお市の方の生き様が悲劇的でした。

また全体的にひらがなで書かれていて、段落も少ない。
このあたりが「語っている」感を出していて、
谷崎潤一郎の新たな演出も垣間見えました。

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南北朝の名残を遺す『吉野葛』

吉野というと奈良県のどこか真ん中あたり?
うっそうとした山々があるところ、くらいしか僕にはなかったのですが、
『吉野葛』はそこが舞台。

日本の歴史の中では南北朝時代という、
朝廷が2分する珍しい時期があり、吉野はその南朝の拠点となりましたが、
南朝の衰退により南北朝は統一。
吉野は歴史の表舞台から姿を消します。

以降は昔ながらの風景が生き続け、
昔ながらの良き日本の姿が書き綴られています。

小説というより、エッセイでしょうか。
途中で古文が引用されたり手紙に書かれていたりで、
僕には読みづらい箇所もありました。
この頃に『盲目物語』『武州公秘話』を発表するなど、
歴史をベースにした作品を書き上げています。

秋の吉野を舞台に、母への想いを馳せる所は、
派手な内容ではないけど、いかにも日本的な作品でした。
『母を恋ふる記』は幻想的な世界、『吉野葛』は地味(いい意味で)な世界、
といったところでしょうか。

吉野へは行ったことないですが、
調べるとこんもりとした山が聳え立つところで、
海よりも山派の僕には好みの場所でした。

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男女関係は面倒くさい『蓼食う虫』

『異端者の悲しみ』は、谷崎潤一郎自身の学生時代をベースにした短編。
こちらは離婚するまでの経験を元に書き上げた話のようです。

結婚は簡単だけど、離婚は大変。
という言葉を耳にするけど、谷崎作品にしては感情の抑揚が薄く、
途中で地唄や浄瑠璃のくだりもあって、珍しく味わえない作品に感じました。

『春琴抄』『痴人の愛』『卍』にあるような、
恋とも愛とも言えないような想いもなく、
かといって支配欲、女性崇拝といった著者らしい作品の箇所も少ないです。

ただどちらが離婚を切り出すか。
言う方になるか言われる方になるか、お互いがグダグダになる感じが続き、
ある意味離婚するときってこうなるのかなあと思うと、
改めて離婚の大変さを実感するわけでした。

主人公の要も妻の間男の存在を容認しているし、
セックスレスが原因と紹介文にはあるけど、
それだけではないような気もしました。

むしろ義父の妾であるお久に対して、
要はなんらかの感情があるような気がしてなりませんでした。
所々にお久に対する要の心理描写があるので、
ああこの二人は最後に・・・と思っていましたが、
なんにもありませんでした(笑)

夫婦に限らず恋人同士でも、別れる際はどちらかが切り出さないといけない。
言われる方も傷つくけど、言うほうもそれなりにしんどい。

いつの時代も男女関係は面倒なのでした。

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どこか寂しさを覚える『濹東綺譚』

濹東とは隅田川の東の地域を指し、綺譚は興味ある、不思議な物語を指す。
関東大震災後、西洋化してゆく東京に住む不器用な男のお話です。

主人公の大江は小説家。
ある日江戸情緒あふれる玉の井付近を散策していると、雨が降り始め、
大江が傘をさすと突然ひとりの女性が入ってくる。
彼女の名はお雪。活発な性格の私娼。

お雪の家に上がり、そこから二人の関係は始まります。
私娼というと今でいう風俗嬢ととらえて良いのでしょうか。
体を売る仕事なのかまでは詳しく書かれていないけど、
他の男を呼び込んだりしているということは、そういうことなんだろう。

大江とは風俗嬢と客、という間柄ではなくて、
なんとなくお雪の部屋へ通ってお茶飲みながら、なんとなく世間話をしているだけのようです。
近代化する東京から逃げ、大江は二人の時間を楽しみます。

別に恋人同士でもなく、愛を語り合うわけでもなく、
なんとなく二人で同じ時間を過ごす。
なんとも言えない関係が良かったです。

当時の東京市について詳しく描写されており、
恋愛ものというより当時の震災から復興し、明るさを取り戻す、
西洋化されている東京の風情と失われていく江戸の風情を同時に味わうことができました。

大正や昭和を舞台にした小説を読むたびに思いますが、
当時の人は現在のようにせっせと働いているように見えないのが気になりました。

谷崎潤一郎や川端康成など昭和の文豪の作品に登場する人々は、
金持ちから貧乏まで様々ですが、鬼のごとく働いている人物は出てこない。

あくまで小説だからだろうか。
それとも現在がおかしいのだろうか。

質素な生活でもいい、なんとなく彼らのほうが人として生きているようで、
羨ましく感じました。

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時に正義は人を傷つける『廃用身』

老人介護施設の真実と高齢化社会の警鐘。
老人医療の院長である漆原は、要介護の老人とその家族、介護士の苦痛の先の無い未来に苦悩し、
麻痺で動かなくなった手足「廃用身」を切断する「Aケア」という療法を思いつく。

リハビリしても治る見込みのない手足の痛みに苦しみ、
介護する身内や介護士の肉体的、精神的苦痛もなくなる。
それどころかAケアを施した老人はボケや痴呆の改善も見られる。

確かに動かなくなったとはいえ、手足を切断するのには誰もが躊躇する。
なので、本人同意のもとで手術をする。

現役の医師だけあって、専門用語は出てくるけど、おおまかなことは理解できる。
これって本当にできることなの?
もし現実にできるなら、画期的な医療行為なのかも、と思いました。

漆原本人もAケアを実施するまでかなり慎重に考えぬいていました。
彼は正義感が強く、本気で老人医療の現在と未来について考えていました。

ただ、どこか腑に落ちない所が所々に見えました。
それは彼の強すぎる正義感です。

確かに彼の理路整然とした論理は正しく、
医師として患者だけでなく、患者の家族や病院の職員のことまで考えてくれます。
ある意味、医者の鑑といえます。

しかし正論は人を傷つけることもあります。
自分の考える正義は、他人の考える正義と違うときもあります。

実際の人間関係でもこのような経験をしたことがあるので、
このなんともいえぬもどかしさが気になり、
最後まで時間を忘れて一気に読んでしまいました。

まもなく老人がさらに年上の老人を介護する、超高齢化社会がやってきます。
というか、もう来ています。
じゃあどうすれば良いのだろう。

漆原のような強い正義感を持った医師に、現状を変えてもらうしかないのだろうか。
そもそも彼の正義は本当に正しかったのだろうか。

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初期の谷崎作品を十二分に味わえる『刺青・秘密』

永井荷風にその才能を見出され「当代稀有の作家」として華々しいデビューを飾った谷崎潤一郎の7作品を収録。
どの作品も明治・大正、平安時代、はたまた夢のなかが舞台で、登場人物の心模様が流れるような文と共に描かれています。

デビュー作の『刺青』を読むと、往年の作家たちが天才と称賛した理由がよくわかります。
この頃からTJの女性礼賛、足フェチな所も見え、特に女性の足の描写や背中に彫られた刺青の表現が素晴らしく、執念すら感じます。
彫り物師、清吉は理想とする娘を見つけ出し、睡眠薬で眠らし、背中に女郎蜘蛛の刺青を彫る。
かくして清吉の念願はかない、理想の女を手にするのですが、眼を覚ました娘が言います。

親方、私はもう今迄のような臆病な心を、さらりと捨てゝしまいました。───お前さんは真先に私の肥料(こやし)になったんだねえ

燦爛とした刺青を宿し、娘から一人の女に変身したこの一言が胸に刺さります。

『少年』はタイトル通り小学生の男の子が主人公。
学校では大人しい友人が、家では腕白小僧で、イタズラがエスカレートする話です。
友人の家はどこか神秘的なところがある。
自分の家とは勝手が違うし、入ってはいけない部屋。大人の遊びを知っている兄や姉。
いけない遊びをなんとなく自覚しつつも、心の中で感じる興奮は少年時代の僕も経験したような気がします。

『異端者の悲しみ』は、TJの自伝だそうです。
たしか父親が事業を失敗しつづけ家運が傾き、学費が払えず東大を中退していたので苦労したようですが、自尊心が強いわりに大学にもろくに行かず、友人から借りた金は返さずとまあひどい青年です(笑)
でもこんな学生ひとりやふたりいたような気がするなあと思いつつ読みました。
寝たきりで死を待つばかりの妹や両親を邪険に思い、家計も苦しくなっていく様はなんだかやるせない気分になります。

『母を恋ふる記』は個人的には収録された作品の中でも一番好きです。
最初に読んだ時はよく状況が読めない描写ばかりでしたが、夢オチだったのかとわかると全てが合点いって、何度も読み返しました。
母に会いたくてどこまでも夜の海辺を少年が歩く。その情景が少し怖いけどノスタルジックであり、ファンタジーでもあります。
このふわふわした感じが続き、ついに三味線を悲しげに弾きながら歩く女性を見つけます。
三味線から響く音が「天ぷら食いたい、天ぷら食いたい」と聞こえ、腹をすかせた少年は、実はこの女性が母なのではないかと思い始めるのです。
あゝ切ない。

他の作品も繰り返し読むほど素晴らしい短編集で、ぜひ読んでもらいたいです。

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TJの隠れた名作『武州公秘話』

谷崎潤一郎の代表作といえば『細雪』『痴人の愛』『卍』『春琴抄』等ありますが、『武州公秘話』は今までとは違うスタイルで書かれた名作。

時は戦国時代。妙覚尼が残した『見し夜の夢』と、武州公に仕えた道阿弥の手記『道阿弥話』を引用しながら進んでいきます。
架空の物語ですが、タイミングよく「参考文献」を差し込んでくるので実際にあった話にも見えます。

最初の1ページめはいきなりガチの漢文が出てきて、目次も古文調で書かれているのでさっっぱりわからず、あーヤバイなこれと思いましたが、本編はちゃんと現代文なので安心しました(笑)
ただ登場人物の名前や呼び方が変化したり、難解な漢字も散見されたので、谷崎作品の中では読みづらい感じがしました。
特に古文漢文の所はよくわからなかったので、すっ飛ばしてしまいました。ごめんなさい。
それでもストーリーは面白いし、挿絵も味がありとても良い。

確か『文章読本』で、学生時代にかなり漢文を読み書きしたと書いてありましたが、この作品では学生時代に培ったものが発揮されているのかなと思います。

作品によって新しい書き方に挑戦するのが谷崎スタイル。
これも新たな文体を模索している姿がみてとれました。

気になるのが、戦国時代には名のある敵の武将を討ち取ったら、首を持って帰り女性が綺麗に化粧して大名に見せる風習が実際にあったのか。
戦の最中に首を切る暇がない時は、あらかじめ鼻を削いで目印にして、後で首を切っていたそうですが、このへんは本当にあった話なのか。

思春期まっさかりの武州公が、首を綺麗に洗っている女性の姿を見て衝撃を受けたのはわかりますが、自分も生首にされ弄ばれたいという性的興奮を丹念に描いています。
文体や書き方を変えてもこのへんの変態ぶりは一貫としてブレない所は、さすが谷崎先生です(笑)
しかし露骨なエロさをださず、生と死との間の言い知れぬ感情を上手く表現されています。

また昔の貴族階級の厠には蛾の羽を大量に入れておき、排泄物が見えないようにする説明がありましたが、これは『厠のいろいろ』にも書いてあり、僕も少しは谷崎文学に詳しくなってきたかなと悦に入りました。余談ですけど。

というわけで、谷崎文学の代表作にはあまり名前が上がらない本作ですが、これも他の作品と比べられないくらい名作かなと思います。

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「そうだ 京都、行こう。」となる『古都』

物語よりも舞台背景である京都の四季を感じる本。
京都の呉服屋の娘、千重子。北山杉の村で働く娘、苗子。
二人は生き別れた双子だった。祇園祭で知り合い、お互いにひかれあい、懐かしみあう二人。
少しの恋愛模様、家族愛、そして姉妹の心情が京都の四季とうまくからみ、とても情緒あふれる物語になっています。
川端作品は自分には合わないと思っていましたが、これは違った。

千重子と苗子が話す京都弁が美しというか可愛い。
これが最近流行りの方言女子(笑)というやつか!
別に方言を話す女の子が可愛いとか惹かれるとか、そういう趣向は僕にはないのですが、京都弁は別。
くやしいけど、見事に「方言補正」され、ほのぼのした気分になります。

川端康成は睡眠薬を飲みながらこの作品を執筆したそうで、話の筋が所々おかしいところがありますが、とにかく情緒ある背景がすばらしい。
「うつつなありさまで書いた」らしく、それが京都の幻想的な風景描写を加速させているような感じがします。
京都は季節に合わせて他の地方より祭りや行事ごとが多く、それらも名所とともに登場するので文章で魅せるガイドブックのようでもあります。

執筆時と現在の京都の街並みはまた違うと思いますが、今の京都もすばらしい。
近代化された京都駅から鴨川、嵐山、祇園など、どこを切り取っても良い。
観光客が減ればもっと良いのですが、これは皆が思ってることでしょうし、仕方ない。

学生時代は関西で過ごしたので、京都にもよく行ったので、懐かしく感じました。
この歳になるとどうしても過去を美化してしまうのですが、友人と遊びに行ったところ、昔の彼女とデートした所など、甘酸っぱい思い出からほろ苦い思い出が京都には詰まっていて、また訪れたい気分になりました。

いかんいかん、自分まで夢うつつな気分になってしまう。
またいつか、時間を忘れて鴨川付近を散策したいです。